以前読んだ「虚妄の成果主義」(著:高橋伸夫)で、そこに「未来傾斜原理」という考え方が紹介されていた。
『現在の損得勘定よりも未来を残すことを選択し、その実現への期待に寄りかかり、傾斜した格好で現在をしのいでいこうという、意思決定を行う原理』だそうである。
本ブログの「損失関数の難しさと世代間闘争」や「損失関数と限界効用」でも似たようなことを書いたかもしれないが、単なる二次関数という形式的には簡単な損失関数を信用できるか、本気で運用できるかは、やはりこの「現在の損得勘定よりも未来を残す」ということをいかに決められるかどうかにかかっている。
許容差を機能限界に近いところに設定すれば、つまり出荷時で不具合にならない程度に許容差を広げておけば、当面の製造工程内の不適合はへって、喉もとの熱さは忘れられるかもしれないが、将来リコールや機会損失とという形で、何倍ものツケが回ってくるのである。
これが一個人の問題であれば「未来を残す」ということは、特に行き先不透明な現在では普通にやっているだろう。将来お仕事のために勉強したり、老後の生活ために貯金したり、節制して体を鍛えたり・・・と将来のために、現在のリソースを犠牲にしたり努力したりするのである。
しかしこれが組織になると難しい。現在の努力やリソースの犠牲の報いとしての受益者は、おそらく、自分ではない次の責任者であるからだ(しかも未然防止なので、礼の1つも言ってもらえないだろう)。逆にいえば、現在の利益先取りした場合、将来のツケの支払いは、自分ではない次の責任者がおこなうので痛みは感じにくい(国の借金も同じだ)。見えないところの痛みが分かりにくいのは、本ブログ「名前のない豚」でも書いたとおりだ。
現在のように仕事が細分化され短期で定量的な成果が求められるような管理方法では、この傾向は強くなる一方であろう。損失関数の難しさなかなか根深いものがある。
損失関数は、SN比(真数)の逆数だから、技術開発の成果を効果金額で評価するのには分かりやすくていいかもしれない。ただそのときに重要なのは、いわゆる経営成果の数値とは分けて管理したほうが便利だろうということである。損失関数が示す数値は、上記のごとく将来得られるはずの--でも現世代にはあまり関係のない--有形・無形の金額なのだから。