2006/03/09

すべての品質工学学習者に捧ぐ!
  竹内薫「99.9%は仮説」 レビュー

良い本に出会った。新刊で本屋にも平積みされているのでご存知方も多いだろう。竹内薫「99.9%は仮説 -思い込みで判断しないための考え方-」(光文社新書)をレビューする。

 本書は、科学史や科学哲学をやさしく紐解いて、科学と技術の違い、さらに常識を覆す新しいパラダイムへの見方などに関して再認識を迫るものである。品質工学を学ぶものにとって、その考え方に対する「心の準備」が行える好書といえる。品質工学の初心者のみならず、ベテランの方にもぜひ薦めたい一冊である。以下ほんの一部を紹介しながら、品質工学の「あり方」との関連を簡単に述べてみたい。 (本書では品質工学に関しては何も触れられてないので、念のため)

 本書ではまず、飛行機がなぜとぶかまだ分かっていないという話から、
「工学(実用)は試行錯誤と経験。わかっていなくても飛んでいるからそれでOK」とし、
また、麻薬犬の方がどんな化学センサよりも、化学物質を嗅ぎ分ける感度が高いので実用されているという話から、
「現実にうまく行くことと、それが科学的であるかどうかは、全く次元が違う。」としている。
確かに、理論より先に現物ができることはよくあることである。

 また、ガリレオの望遠鏡の話では、大発明である望遠鏡を当時の権威である大学教授らに見せたところ、
「完璧であるはずの天上界の月に凸凹があるのは望遠鏡が間違っている」
と、現実の方を否定されたのである。「天上界が真」という演繹法が当たり前の世界での判断である。
その時代やその社会に浸透している常識の前では、大学教授と言えども目が曇ってしまうのだ。

 このように演繹法では、データで常識(前提、仮説)を覆すことができない。逆に、データが新しい理論を作ると考えた(帰納法)のはベーコンであるが、科学や技術が高度に発展したと考えられている現在でも事情は同じであろう。

 「科学法則が真理」の常識の世界ではノイズや信号を考えた直交実験の結果という事実の前でもそれは否定されうる。
「メカニズムが分からないものは信用できない」「理論に合わない」と。
つまり現実の方が否定されるわけである。ひとつの真理(科学法則)ですべてが説明できる、というのはモノを実用化させるという現実の世界ではいかにもナイーブな考え方であるし、現実の世界の複雑さに対峙する技術者としての謙虚さを欠いているといわざるを得ない。

 「科学法則やメカニズムの解明で説明できるはずだ」というのは広く行き渡っている常識であろろうが、常識が違うと話がかみ合わない。本書では以下のような切り口で科学哲学論をベースに話を進めている(詳細は本書をあたってほしい。頭を使って考えたい人には、「バカの壁」よりずっと面白いはずだ)。
「世界の見え方自体が、あなたの頭の中にある仮説によって決まっている。」
「人は自分の都合の良いように解釈する」
「科学は仮説にすぎない」「常識は最新の仮説の集まりである」・・・等等。
 
 本書ではこのような、「同じコトに関してを話しているつもりが、言葉が通じない」という現象を「共約不可能性」で説明している。共約というのは平たく言えば翻訳のことで、お互いに違う常識(個々人が持つ複雑に絡んだ仮説のネットワーク)が違うので、同じ言葉も全く違う概念で使用され、それは不可避なものである、ということである。

 品質工学の考え方を説明しても「品質」「機能」「技術開発」などの意味が従来と違うのだから、常識が違う人にその言葉で説明しても、話が食い違うのは当然なのである。
本書では、「翻訳が”完璧に”できないから最初からあきらめるのはナンセンスで、お互いに拠って立つところの仮説に気づくことにより、相手の心積もりもそれなりに理解できようというもの。それが現実の世の中。」としている。

 さて最後に本書の引用から、
「古い仮説を倒すことができるのは、その古い仮説の存在に気づいて、その上で新しい仮説を考えることができる人だけである。」
ということを取り上げたい。
(言葉は易しいが、パラダイムシフトのことであり、天才の仕事であるなあ・・・これは。)

 この点で田口博士の品質工学は、統計学、因果関係の研究という古い常識の存在に気づいて、「すべて間違い」と言い放った上で、新しい具体的方法論、考え方を見事に提示している。
技術開発の分野における、地動説や相対性理論なみの発見で、天才と言われるゆえんだと思うが、常識が違えば理解できないというのは、上記のとおりである。数理や用語が難しいのもあるが、品質工学が理解されにくいのは、「共約不可能性」の問題であろう。

 また逆に、品質工学をやっている我々が戒めるべきは「品質工学が真」という大前提に立って演繹法の考え方になって、独善的に押し付けてしまわないことである(これでは変人ですよ)。
あらゆる考え方に触れて、それらを見比べることにより、常に疑うというスタンスを持っていれば、弱点や足りない点が見え、さらに品質工学を発展させていくことができるということである。

 この点に関する再認識を得るだけでも、品質工学の学習者がこの本を読むに値すると感じるし、科学史や科学哲学をこれから深めていこうというきっかけにもなる1冊である。良い本や考え方に出合えるから人生は捨てたものではないと思う。

2006/03/03

設計品質のモノとコト

 今年度の品質工学研究発表大会(QES2006)のテーマは「モノ・コトの見極めに改革を」である。Kazz先生の掲示板http://www2.ezbbs.net/12/kazz/でも「モノ・コト」に関するお話は取り上げられている。

 品質工学に限らず、一般の技術開発、設計部門でも「設計品質」という言葉がたびたび話題に上っているだろう。「設計品質を向上しなければならない----」「このようなことが起こったのは設計品質が悪いからだ----」「品質工学で設計品質の革新を行おう----」といった具合である。誰もがさも設計品質という言葉を既成の定義された用語のように、また各人の解釈でこの言葉を使用しているが、職場や研究会のコミュニケーションにおいて、この言葉は共通認識として正しく使われているだろうか。「設計品質を良くするために品質工学を・・・」と言ったときに、各々の考える設計品質の認識は同じであろうか。

 筆者が思うに「設計品質」というときには、言外には2つの意味があるのではないかと思う。1つは製品や技術における設計の品質で、品質工学では機能性と呼ばれているものである。さしづめ「モノの設計品質」と言ってよいだろう。もう1つは人や組織、技術開発のやり方、スタンスに関する「コトの設計品質」があるのではないか。この2つは、近くて遠い課題で、前者は主に評価手法や改善手法などのツール的な部分、後者は人の考え方、組織の体質、哲学の部分の問題である。

 品質工学のこの両方の側面から具体的方法論や考え方を示しているが、現実の現場への浸透を考える場合には、それぞれ推進のやり方や、タイミング、もって行くべき場所(職制)をうまく切り分けてゆかなくてはならない。ツール的な真似事では設計品質への真因への到達や本質の改善ができず、また哲学や理念だけでは納得感のある推進展開にはならないのである。

 これはちょうど、カンバン方式に代表されるトヨタ生産システムの手法だけをまねしてもうまくいかないのと同じである。トヨタの成功の要因には、モノであるシステムと、コトである従業員のカイゼンに対するDNA(習慣といってもよい)が根底にある。品質工学をこのDNA、習慣レベルに根付かせるのは、トヨタシステムと同様、時間のかかる仕事であることは間違いない。トヨタシステムについても品質工学についても言えることは、最終的にはトップマネジメントの気づきと、信念であるということと、モノとコトに関する成果の定義を行う必要があるということである。