2006/02/25

損失関数と限界効用

 今回は結論のない話で恐縮だが、今後の問題提起として述べたい。

 機能限界での損失を定義し、目標値からのずれの2乗で損失が増加する損失関数のモデルはそのバックボーンとなる数理や、内在する損失のモデルの考え方からして、ロジカルに見える。しかしオンライン品質工学や許容差設計をやってみると、合理的に決めたはずの許容差や、工程チェック間隔・修正限界が現場の感覚として、受け入れがたい(ほとんどの場合過剰に見える)という現実がある。合理と感覚の違いで後者は思い込みである、というのは簡単であるが、はたして損失関数の考え方は、合理であっても妥当なのであろうか。

 全く別の話になるが、人はなぜ期待値が原資を割ってしまうことが明確な宝くじを購入したり、掛け捨て保険に加入するのであろうか。これについては、経済学で「限界効用」というテーマで古くから研究があり、要するに経済的に同じであるはずの1円(1万円でもよい)の効用(満足度、損失の場合は苦痛)は一定ではないということである。多くの人にとって宝くじの1等で手にする賞金は普通の生活の延長線上ではない生活ができるという意味で、特別なものである。限界効用の考え方は、普通に手に入れられるお金と、宝くじでしか手に入らないお金とでは全く違う価値を持っていると考えているので、期待値が明らかに原資を割ってしまうような宝くじを購入するのである。保険についても、多数の人から原資を集めて特定の者(こちらは幸運ではないが)に保険金が支払われるという意味で構造は同じである。今これをご覧になっている読者も、ほとんどある種のくじの購入や保険の加入の経験があるだろう。こう考えて見ると、現実には経済的合理性だけで物事が決定されるものではないと言ってもよいだろう。

 損失関数のシンプルなモデルは、古典経済学で考えるような1円はいつでも1円という考え方に、ある意味でのナイーブさを表してはいないだろうか。現場で今手にする1円、失う1円と、製品が市場に出てから(さらに何年も経ってから)の1円は同じだろうか。 製造業に限らず、経済活動、経営活動は生身の人間が刻々と判断を行っている(だからサイエンスではなくアートである)。コンピュータには経営はできない(経済性ONLYの投機活動はできるのかもしれないが)。この点は考慮には値するだろう。

 もしかすると的外れな議論かもしれないが、現実に合理の解と現場の感覚に差異が生まれているのだから、あらゆるものを疑ってみる姿勢は必要であろう。まだ思いつきレベルであるが、今後、この場で議論を深めていきたい。

ノイズ -M夫妻への結婚のお祝いの言葉に代えて-

 もう昨年になるのだが、大学時代のサークルの後輩同士がゴールインしたということで、サークルの機関紙にお祝いの言葉として贈った文章を一部掲載する。品質工学の考え方になぞらえたものである。

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 まずは、S君、Tさんおめでとうございます。 M夫妻はしっかりしておられるので、今さら結婚式での訓示のようなことを言うのはおこがましいのですが、社会人、家庭人の先輩としてアドバイスをひとくさり言わせてください。 これから家庭生活だけでなく、社会人として、日本国家の成員として生きていく上で決して道のりは平坦ではないと思いますが、まず確認しておきたいのは「自分以外の人(⊆法人、国家)はずべてノイズだ」ということです。これはちゃんと説明しないと大きな誤解を招くおそれがありますね。よく言われることですが、「人の考え方や行動を容易に変えることはできない」ということです。特に40歳以上になるとひどいものですね(私もそろそろそちらの仲間入りですが・・・)。もちろん、考え方や行動が変わることもあるのですが、「三つ子の魂100まで」というように、歳をとればとるほど本人の努力でもなかなか変われないものです。ましてや他人に言われたくらいで変わるはずもありません。これは社会に出て自分の考えや新しいやり方を通して行こうとした時に必ず阻まれる「文化」「慣例」「経験則」「現場のしきたり」などという壁に当たることで知ることになります。程度の差こそあれ、結婚というものも、もともと他人同士が一緒になるわけですから「育ってきた環境が違うから価値観は否めない♪」わけです。「いとしの配偶者がノイズだなんて!」と怒られるかもしれませんが、やはり長い目で見れば「個」と「個」がぶつかる局面が必ずあるわけです。これは血がつながった家族(親子)なんかでも同じです。前置きが長くなりましたがまず「自分以外はノイズ=基本的にはコントロール不能なもの」ということを押さえておきます。

 さて言いたいことはこれからなのですが、これから家庭生活、社会生活を送っていく上でうまくいく考え方というかアドバイスをこれまでの経験から言いたいと思います。今は順風満帆でも5年、10年後に何かあったときのための1アイテムとして聞いておいてもらえればと思います。それは一言で言えば「あてにしない」ということです。「妻や夫としての役割をあてにしない」「会社に昇進や明日の雇用をあてにしない」「国家に年金や安全をあてにしない」「銀行に元本保障をあてにしない」「親に遺産をあてにしない」「子供に老後の介護をあてにしない」「会社の他部門の計画をあてにしない」「石油が輸入できることをあてにしない」・・・いくらでもあります。あてにしなければ「裏切られた」「こんなはずじゃなかった」「自分はちゃんとしていたのに○○のせいで」ということもないわけです。じゃあ、何もあてにしないで一体どうして生きていくんだということになりますが、これも一言で言えば「あてにしない前提で生きていける自分とその環境を創っていく」ということなんです。コントロールできるのは自分の考え方と行動だけですから。その対極にある考え方は、いろんな不測の事態に対して責任を外部に転嫁する、それをコントロールしようとするということでしょう。これは非常に疲れますし、非生産的です。ブルーになりますし、血圧も上がります。 自分が自分以外をあてにしないからと言って、相手からあてにされない態度をとるべきだとは言いません。むしろ、自分がよいと思うことは相手に対して「見返りをあてにせず」どんどんやっていくことが重要です。自己満足でも大いに結構。夫婦がお互いにそのように振る舞い、それぞれは1個の「人」同士として生活して行ければ、そのなかで家庭生活は安泰なのです。会社でもそうです。株主の利益のためでもよいし、お客様のためでもよいしですが、よいと思う信念に基づいて貢献してゆけばよいのです。国家に対しても同じです。このサークルもそうですね。

  品質工学と従来の他の手法との最も大きな考え方の違いは、外乱となるノイズを消そう・減らそうというのではなく、現にここにあるノイズからの影響を受けにくくなるように設計することなんです。これをロバストネス(頑健性、技術の安定性)と言っています。これまでのQCや信頼性工学の手法というのは、ノイズの原因を調べてそれを減らす対策を後始末的(火消しともいう)にやっていたのですが、別の未知のノイズに対しては不具合がでるまで対策できません。これが市場で発生したらリコールとかで大変なんです。品質工学の方法がよいのは、ノイズは直しにいきませんので、ノイズに対して安定にしておけば、未知のノイズや今は印加されていないノイズに対しても安心ということなんです。 ここまで言えばなぜ品質工学の話を引き合いに出したか分かってもらえたと思いますが、人生の場面においても、いろんな不測の事態に対してその度におろおろしたりイライラしたり、コントロールできないものをなんとかしようとするのではなく、自分自身が頑丈になるのが大事なのだと。そのための努力と準備を自分の責任でしておくのだと。「あてにしない」ことなのだということなんです。だから究極的には、「自分以外はずべてノイズ」ぐらいに考えて行動しておけば、精神衛生上非常によく、鬱や高血圧を回避できるのです。(もちろんこれは総論ですので、実生活では”あてにできるもの”は確率の範囲で見込んでおくのですが)。

 若いうちは社会に出ても最初は充電期間であるため、がんばりに対しての経済的な対価は大きいものとは言えません。私も「なんでこれだけやっているのに、こんな給料が安いんだ」と思ったものです。そういう意味では仕事をするときにはできれば好きなことをやってほしいと思うのです。お金とは面白いもので、若いときには上司先輩から言われた仕事が大半で、忙しく働いているときには身入りが少ないのですが、ある程度中堅になって自分で仕事が作れるようになってくると今度は仕事が面白くなってきて、お金はあまり気にならなくなる。そうすると、いつのまにか「プロ」と呼ばれる人たちに近づき収入や昇格なんかも後でついてくるのです。先ほど「会社を当てにせず」とか「見返りを求めず」と言いましたが、これができるためには「好きなこと」をやるということに尽きるのではないでしょうか(もちろん上司に恵まれるかどうかという要因が大きいのですが)。同様に家庭においても同様に「プロの夫・妻」「プロの親」とは何かを考えて行動することになりますね。

末永くお幸せに。

2006/02/19

長谷部光雄「ベーシックタグチメソッド」 レビュー

 品質工学の入門書ということで、長谷部光雄氏の「ベーシックタグチメソッド」が発刊された。
紀伊国屋書店で立ち読みで斜め読みしたときにいずれ買おうと思っていたのだが、幸い参加している研究会での配布があったので、入門者・初心者への教育を行う立場として読み込んでみた。

 これは「やられた」の一言である。最近でこそいろんな品質工学の入門書や解説が出版されているが、それでも全くの初心者向けでそこそこ体系的にまとまっているものとなると、これと言ったものがなかったので、いずれ自分で書こうかと思っていたのである(もちろん社内向けであるが)。

 これまで、社内の講座で入門書として薦めていたのは(田口博士のものではなく恐縮ではあるが)、管理職を含めた一般向けには、上野憲造氏の「機能性評価による機械設計」の前半の解説編と、技術者向けには立林和夫氏の「入門タグチメソッド」である。この2冊は非常に品質工学の考え方の要点がまとまっており、入門向けにぴったりということで、社内で買いこんで配り歩いていたのである。

 そこでこの「ベーシックタグチメソッド」である。パラメータ設計に入る前の機能性やノイズの考え方を、非常に丁寧にしかも面白いたとえを活用して説明してくれている。「入門タグチメソッド」では最初にエンジニヤードシステムの説明から入るのであるが、文系や実務経験のない新人などいわゆる技術的な概念がない人には少し難しいのかもしれない。ライト兄弟やガウディなどの歴史上の偉人の考え方を引いて、技術に対するものの考え方を説くコラムも工夫がなされており楽しく読める。

 また個人的には2つの話が特にためになった。1つは「寿命」の分布に関する話である。機能性と寿命の対応の話は、概念では理解できてもなぜそうなのかは説明しにくいものである。本書では理想寿命(ノーストレスの時の限界の寿命)という概念を持ち出し、そこからのばらつきを考えるので、寿命に関しては若い方(短命な方)にしか分布が広がらず、機能性の改善によって分布が理想寿命に近づくので平均寿命も高くなるという説明は説得力を感じた。もう1つは、評価の方法の妥当性を考える上で、自分が新薬の被験者になる場合を想定し、繰り返しを多く取らなくてもたくさんのノイズを調合して評価するほうが安心である。お客の立場になって考えるというのは、自分の生命や大きな損害までを想定したたとえで考えないと考え方が実感できない、というような話が面白く納得もした。

 他にも示唆に富む話が多く、筆者の見識の深さを感じさせるものであった。今後、社内教育で初心者に説明してゆく際の良い参考になることを確信した。次回(早速明日2/20であるが)の教育では、入門者用の推薦図書として本書をイチオシするつもりである。

2006/02/14

ドラッカーと田口博士の未来観

鼻持ちならないが、ドラッカーの言葉を引用する。


「未来を予測しようとしても無駄である」

       (「創造する経営者」より)

ドラッカーは企業経営のあり方を指してこう言ったのであるが、これは技術開発についても同様に言えることである。すなわち、市場に出て行った製品がどのような使い方をされ、どのような環境でどんな劣化のストレスを受けるのか、その1つ1つの現象について、またその総体について正確に予測することは不可能であり、もちろん完全に対策することも不可能である。

したがって通常は、JISや社内で取り決めた一定の規格試験や検査を行い、決められた環境試験の結果と、出て行くときの性能でOK、NGを判断して出荷している。そもそも考えても仕方ないと思っているので、そのような試験をやって市場でNGが出ても内心「仕方がない」と思っているのである。

では品質工学ではどうするか。これについてもドラッカーはこのような示唆を与えている。

「変化をコントロールする最善の方法は、自ら変化を作り出すことである」

       (「明日を支配するもの」より)

つまり、変化(この場合市場での使用条件や環境、劣化など)をコントロールすることはできない。できるのは開発設計段階で、それを自ら作り出すことであると。田口博士は図らずもドラッカーと同じように、技術の上流の開発設計段階で、「誤差因子」を導入することで、予測しても無駄と考えられていた「未来」を予測する方法を編み出し提言したのである。

2006/02/09

自動化ツールの功罪

 今日、来月発売されるというタグチメソッドの自動化ツールのデモに立ち会った。会社名は伏せておく。この会社の本社は米国で、もとGM社のエンジニアが創設した会社だそうだ。
 紹介されたツールは、今回新たにタグチメソッドの解析機能を実装した新製品である。いかにも米国人が考えそうな「タグチメソッド」のツールである。日本の「品質工学」の定義と、米国人が言う「タグチメソッド」ではかなり内容が違うのだが、このツールはまさに、米国人がタグチメソッドと言っているところのものを具現化したシステムと言ってよいようだ。

 CAEとの連成で割付けやCAE実験の自動化、要因効果図の自動作成などが主な機能で、要はエンジニアが頭を使わなくてもできる部分をできるだけ自動化したものと考えると分かりやすい。米国で、直交表を使ったパラメータ設計のことをタグチメソッドと呼んでいるのと同様、このツールもそれを自動化したことを売りにしている。

 このようなツールは一定の作業効率化の役には立つだろう。うまく使えば時間が儲かるのも間違いはなさそうだ。自動化されている部分が実際にネックになっているようなCAEのオペレータには朗報で、年間200万円のライセンス料は、疲れも知らず、決して指示に対して間違えないオペレータを時給1000円で1年雇っていると思えば安いのかもしれない。

 しかし、説明を聞けば聞くほどある不安が募ってきた。このようなツールが出てくることによって、これまで、いろんな意味で一歩引いていた技術者が、安易に品質工学(あえてタグチメソッドとは言わない)が使えるようになると考えてしまわないだろうか。設計パラメータをたくさん入れて、品質特性で多数の設計をじゃんじゃん自動計算する。こういうものが品質工学だと思われることが非常にこわいのである。「こういうのが欲しかったんだよ」と安易に始める人が出ないことを切に祈るのだが、このようなツールを使って正しく品質工学で成果を出すには、よほど良く分かっている人でないと、品質工学の本質にたどりつけないまま、失敗して終わってしまうことになるだろう。

 このツールは頭を使わなくて良いところを自動化してくれているのであって、実験の再現性まで保証してくれているわけではない。本当に難しいのは人間が判断する部分、すなわち機能の表現であったり、ノイズの選択であったり、制御因子の水準の決め方(交互作用が出ないように)などである。この部分についてはツールは無力である。

 そしてもう1つ発見があった。常々、品質工学はツールではない、と言われているが、このような正真正銘のツールを目の当たりにすると、逆にこのようなツールにないもの(できないもの)が何かを考えることによって、品質工学がツールでないことが明確に見えてくるのである。どうすれば再現性のよい実験ができるかを考える部分や、それ以前のシステムのアイデアの部分、これは人間様にしかできない、高度な技術的なナレッジワーキングであって、ここにこそ技術者のオリジナリティーが発揮されるところなのである。

 2時間のデモであったが、反面教師としてみれば、このようなことが再認識された次第である。

2006/02/05

商品企画・研究開発・設計の区別

 先日、関西品質工学研究会で田口先生の講演の中で、フィルタ設計の例をとって、商品企画・研究開発・設計の区別のお話があったので、筆者の理解の範囲で解説する。

 対象は、ある周波数f0以上の入力信号をカットするローパス(ハイカット)フィルタの例である。もちろん、ローパスでもバンドパスでも同じである。このフィルタでは、顧客や電気回路設計者のニーズから理想的には、「ある周波数f0以上の入力信号は0に減衰させ、f0以下の入力信号は100%通過させる」という機能を要求されている。
どのような帯域のどのような性能のフィルタを製造・販売するかは、技術者の問題ではなく、製品企画の問題である。

 一方、企画が決定されたのち、その特性を満足するフィルタを実際に設計(理想的なフィルタの特性カーブに近づけるチューニング設計)するのは、設計者の役割である。

 またその源流で、商品企画に先立って、フィルタの特性カーブの安定性をスペックに関係なく改善しておくのは、研究開発の仕事である。この部分に、品質工学を活用して先行性のある評価改善を行っておくべきとしている。前述のようなフィルタの機能性は、製品企画であるフィルタの目的曲線(特性)とは全く別に、フィルタのカットオフ周波数(パワーが半値を示す周波数)の安定性を評価すべきとしている。

 その後で、特定の帯域の特定の特性のカーブにどう合わせこむかというのは、設計技術者の仕事というわけだ。合わせこむための制御因子の選択や、許容差設計のようなレスポンスの解析がその仕事ということになる。この部分は、大部分がコンピュータによって自動化される部分と考えており、商品企画でスペックが決まれば即座に設計が完了できるようにすべきだ。

 いずれにしても大切なことは、周波数を安定させたり、理想のカーブに近づけたりするためには、多くの制御因子が必要であるということだ。必要十分に複雑な回路でないと、これは実現できない。筆者も以前、SAW(弾性表面波)デバイスのバンドパスフィルタのプロセス(回路設計ではない)をやったことがあるが、やはりシステムである回路のほうのロバストネスが十分に確保できていないので、プロセスのマージンが小さく、非常に苦労した経験がある。プロセスなら社内のコストの話で済むが、市場に言ってからは、技術者はチューニングしに行けない。やはり、システムでのロバストネスを源流で確保すべきということなのだ。

 これは商品企画・研究開発・設計の区別を説明するには分かりやすくてシンプルな例でよいと思う。新人や若手技術者への教育に活用したい例題である。

2006/02/02

健康診断の間隔

お遊びと思ってお付き合い願いたい。

人の健康診断も品質管理と同じなので、適切な健康診断間隔というものがあるはずである。現在、筆者は若いころからもともと血圧が高めなので、重大な病気にかからないように(早期発見のために)2週間に1回の診察と薬の処方を受けている。
(こう書くといかにも不健康そうに見えるが、日常は至って健康である。何事も前始末が肝要ということだ。)

オンライン品質管理で適切な診断間隔を見積もってみる。

A(機能限界外損失)[円/単位量]は、製品と違い命は1つしかないので単位量で見積もるのが難しいのだが、重大な病気の発見が1日遅れた場合の平均ロスとする。発見が遅れて1年で発症し、その場合の損失(治療費や不便など)を2000万円とすると、1日遅れた場合平均のロスは、
A=54800[円/日]

B(診断コスト)[円/回]は、診断料5600円(保険非適用:社会的に誰かが負担しているので)+通院コスト(手間、時間)2000円=7600[円/回]。

C(調整コスト)[円/回]は、重大な病気の注意信号(管理限界)が出た場合の精密検査コストで、C=5[万円/回]。

l(計測タイムラグ)[単位量]は、注意信号がでてから精密検査の結果が出るまでの時間で、l=10[日]

u(平均異常間隔)[単位量]は、注意信号が10年に1回として、u=3650[日]

最適診断間隔nは、  n=√[2B(u+l)/(A-C/u)]=32[日]

となり、現在の診断間隔(14日)は過剰(約2倍の頻度)という結果になった。
損失コストの差分は、  L(n=14)=819[円/日]  L(n=32)=649[円/日]生涯40年での損失の差分は、248万円となる。

この額だけ見ると大きいようだが、診断間隔を変更した場合の40年間の診断料の節約分は1580万円なので、それで差し引き248万円しか変わらないというのは、現在の間隔でも発症による損失とかなりの部分が診断費用と相殺されているようだ。
見積もった値の精度や、実際は保険が適用されて診断料が安いことなども考え合わせると、大切な命のことなので安全側に見積もって、現在の診断間隔でもあながち外れてはいなのかなと感じた次第である。

2006/02/01

品質工学の効果を見せるには(導入期)

 品質工学(パラメータ設計)は、再現性がなくて実験が「失敗した時」にこそ「役に立った」(悪い設計が前落としできた)と言い切れる。しかし失敗したときには経営効果がでないので、経営者は面白くないのだ。
逆に品質工学で一度でうまくいったものは、システム(技術手段)のアイデアがよく、設計に交互作用が少なかったということだから、品質工学を使わなくてもおそらく1因子でやっても同じような条件にたどりついてうまくいった可能性が高いということになる。
改善がうまくいった場合、経営者は喜ぶが、QEとしてはあまり面白くない(田口博士も失敗事例にしか興味がないと仰っていますね)。
だから、経営効果が出てうまく行った事例については改善のアイデアのよさはアピールできても、QE適用の単独効果がうまく表現できないのである。

 品質工学がなぜ現在の経営者にウケないかというのは、1つには「品質工学の効果が見えにくい」からだと言われているが、正確には、「短期的な効果が見えにくい」ということなのだと思う。
損失関数で示されるような利得は、今すぐキャッシュになって懐に入ってくるようなものではなく、同じ規格OKの製品でも市場に出た後で、不良が少なくなり、顧客と企業の損失が最小限になり、ひいては損益改善、技術体力強化、競争力向上という経営効果ににつながっていくという長期の壮大なストーリーである。
(残念ながら、今の自分では「自由の総和の拡大」にまでは考えは及ばない)
現役の経営者が欲しいのは、「今、ここので数字の見える成果」であって、地味でいつ回収できるか分からない前始末の効果ではない。

そのような経営者に目を向けさせるためにはまずは、
 (1)改善を中心とした、「今、ここ」のテーマか、
 (2)解が見出せず納期が迫っていてどうしようもない火急のテーマか、
をせざるを得ないということなのだろう。
社内的には(特に導入期は)技術開発戦略やパラダイムシフトという大風呂敷を広げず、まずは改善手法として売り込むのも1つの方便ではないかと考え始めている。

 しかしながら、やはり「個々の問題としてでなく、戦略的に、一般論的な問題として考えなければならない」のであって、上記のようなテーマであっても、できるだけその中に技術を見出し、技術を蓄積できるようにアプローチする努力が必要である。つまり評価の仕方や、解そのものを違うテーマに展開できるものとしたい。
また、上記のようなテーマと平行して、新規設計のテーマを織り交ぜていけば、かなり上流のところで前始末ができるし、従来機種があれば、改善効果も見えやすい。

以上推進の現場にいて切に感じることである。

オンライン品質工学の難しさ

 オンライン品質工学の難しさは、理屈だけでなく、全体組織の品質方針として顧客の損失まで含めた損失関数の考え方を受け入れられるか、という経営判断の問題ある。

 一定の規模の実験やCAEを伴うパラメータ設計に比べて、オンライン品質工学は手軽であるという印象があった。
必要な数値さえ得ることができれば、あとは計算公式に則 って、最適な工程チェック間隔や修正限界許容差などを算出することができ、その結果に従って工程の管理を行えば、結果としてトータルの品質コストが下がる、という 仕組みだからだ。
ある意味では初期のアイデアが必要ない分、また下流の製造部門で 行える分、ハードルは低いように思えた。
実際、計算に必要な数値は調査を行うことで短時間で得ることが出来たし、計算を行 い、改善品質コストも満足のいく数値となった。しかし、実際にはこれが工程管理に 適用できないのである。

 最も大きいハードルは「最適工程管理条件と、経験的によいと感じる条件のギャップ」であると言える。
いろんなケースがあるだろうが、一般にはオンライン品質工学を適用すると、従来の管理は目先のチェックコスト、修正コストを抑えるために間隔は長くや許容差は甘くなっている(工程内の許容差に入っているのでOK/NGという意味では問題は起こらない)。
この場合、目標値mからのずれによる損失関数から導かれる品質コストが大きくなり、改善の余地が生まれるのである。
最適化した条件は、将来(市場)の品質によるロスコストの低減を先取りして、目先の管理コストのアップを受け入れるべきだ、との判断を迫る。
損失関数をちゃんと説明すれば頭では納得してくれる。しかし、現場の判断ではそうならない。
これは現場の判断を責めても仕方がない話で、要は会社(事業部)として、設計~製造~市場(品証)のトータルコストを最小にするという意思表明とトップダウンのマネジメントがないとできない相談であり、現場の判断では、自部門責任のコストを最小にするという行動は、組織論としては合理的である。

 さて、実践論として品質工学を展開している筆者としては、まず最適とはいかないまでも、いくらかは改善できるという折衷案を提示することを提案する。
例えば、従来 100ロットごとのチェック(=ほぼ修正間隔と同じ周期)が、最適では20ロットだとする。
5倍の頻度での工程チェックは現場としては受け入れられないので、次の3回のチェックを「理由をつけて」導入することを提案した。
 (1)10ロット目:工程修正に よる異常がないかのチェック
 (2)40ロット目:特性の線形トレンドが維持されている かの中間チェック
 (3)80ロット目:修正限界直前のチェック
他にも方法があるが、 なんとか品質工学の理想論を現場へ実装するための苦肉の策である。
実際、最適で20 ロット(頻度5倍)ごとを頻度3倍にしても、品質コストの改善額は10%も変わらなかった。
1事例としての紹介である。


株式会社ジェダイト(JADEITE:JApan Data Engineering InstituTE)